手のひらの中のアジア -3ページ目

★旅の断片 グルジア ~Hello from Georgia/グルジアの子供たち~

Hello from Georgia
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★旅の断片 グルジア 08.08.2008~戦争が始まった日~

戦争が始まった日4

2008年8月8日、グルジア軍とロシア軍の武力衝突、その衝撃的なニュースが流れた頃、家の前で仲良くアイスクリームを食べる少年と少女がいました。


その様子をベランダからぼんやりと見つめながら、僕は二人の会話を勝手に想像してみました。


サンドロ:「ねぇ、戦争はじまっちゃったんだってさ、ぼくたちの国」


ニーノ:「ふーん・・・・・・。ばかね、大人たちって」


サンドロ:「ぼくたち、どうなっちゃうのかな」


ニーノ:「さぁね。心配なら、神様にでもおねがいすることね」


サンドロ:「神様、あしたもあさってもしあさっても、毎日アイスクリームが食べられますように・・・」


2人が安心してアイスクリームを食べられる日が早く訪れることを祈って。。

★旅の断片 グルジアの少女 ソピコとサロメ 

グルジアの少女 ソピコ

「ロシア軍、グルジア西部セナキを攻撃」


そのニュースを見ながら、クタイシの街で出会った少女ソピコとサロメ、その家族のことを思い出していた。


グルジア語であれこれと質問してくる子供たちの言葉を、お母さんがよく簡単なロシア語に訳して僕に伝えてくれた。


「ママ、このお兄ちゃん、何て言ってるの?」


そんな様子で僕が答えた内容を知ろうとお母さんの方を見上げる2人。


僕が何を言っていたのかわかると嬉しそうにこちらを向いてにっこり笑い、また新しい質問を投げかけてくる。


そんな会話のやりとりが印象的だった。


移動の日、グルジア西部を移動するマルシュルートカの中でも一緒だった彼女たちは、クタイシ旅行の帰りにセナキのバザール前で降りた。彼女たちの実家は、ロシア軍が進攻していったとされるあのセナキにある。


軍施設を狙ったものとはいえ、小さな町だ。


一時的にでもどこかへ避難したのだろうか。


あのほのぼのした優しい家族が不安に怯える姿を想像すると心が痛んだ。


グルジアの少女 サロメ

★グルジア紛争④ ~脱出~

グルジア紛争の戦火 ゴリ周辺


山が、大地が、燃えていた。


「ГОРИ(ゴリ)」というキリル文字の道路標識を目にした時、にわかにバスの車内がざわついた。


周辺の大地、車内から左右どちらを見ても、そこかしこで噴煙が上がっている。おそらくロシア軍の爆撃によるものだ。いつのことかはわからない。バスから見える範囲には、ロシア軍もグルジア軍の姿も見当たらない。すでに撤退したのだろうか。


灰色の煙が風に流されながら徐々に上空へと昇っていく。それはこの日の曇り空と同調し、上空にどんどん溜まってまだ広がり続けているように見える。悲しい色の空だった。


燃えさかる炎は、まだ当分消えそうにない。


グルジア紛争の戦火 ゴリ周辺


雨が降ればいいのに、と思った。


でも雨は降りそうになかった。


人間たちが繰り返す愚行に、もはや流す涙すらない。


それほどに空も大地も乾ききっているように見える。


夏の花畑は色彩を失い、山々の一部は冬の枯山のように物寂しい姿に成り果てていた。


グルジア紛争 燃える大地


町の周辺、幹線道路上の片側車線には、戦闘に使われた何台もの高射砲がある程度の間隔をおいてずらりと並び、まだそのままに放置されている。2トントラックほどある2台の軍用車両がお互い正面衝突したままの状態で固まっている。どちらもぐしゃぐしゃに潰れた運転席の様子からは、もし兵士が乗ったまま衝突したのだとしたら確実に両者ともに即死したであろうことが容易に窺える。ここでも周囲にはロシア軍の姿もグルジア軍の姿も見当たらない。戦火の爪痕だけを残してすでに両軍共に去った後の光景のようだった。


グルジア紛争 道路上に放置されたままの武器 グルジア紛争 道路上に放置されたままの武器

ゴリの周囲一帯はロシア軍によって占拠されたとの一部情報もあったが、幹線道路上には巡回する数台のグルジア警察車両が見られるだけだった。ほとんどもぬけの殻となっている町には、それでも時々とぼとぼ歩く人の姿が見受けられた。パンを売るため路上に立ち、車やバスが通りかかるのを待っている初老の男性たちを見かけた。しかし彼らが持っているのは、1枚50円程度の円盤型のパン、たったの数枚だけだった。なぜここにいるのか。それが彼らの日常的な仕事なのか、この状況下で生きるためにそうせざるを得ないのか、確かなことはわからない。僕らのバスが彼らの前を通りかかった時、何事か口にしながら1人の男性がこちらに向かって手を挙げた。誰かパンを買ってくれないか・・・・・・そう言っているようにも思えたが、バスは無情にも止まることなくその場を走り去った。


グルジア紛争 ゴリ周辺の光景(路上でパンを売る男性たち) グルジア紛争 ゴリ周辺の光景(人の姿あり)

僕は奇妙な感覚にとらわれていた。


目の前に広がる現実の有り様をこんなにも近くで見て肌で感じていながら、同時に、バス車内のたった1枚の窓ガラスを隔てて見る周囲の光景は、テレビ画面を隔てて見る遠い世界の出来事と同じようにも思えてしまったのだ。


こうしてバスに乗っていると、走行中はエンジン音とエアコンの稼動音、乗客の声、座席の軋む音といった車内で聞こえる音以外、外からの音は耳に届かない。異様な町の光景も、歩く人々も、燃えさかる山も大地も、すべては無声映画の1シーンを見ているようだといえば、そんな気がしなくもなかった。


南オセチアの首都ツヒンバリまで26キロの標識


バスはゴリ周辺を抜けると、順調に幹線道路を西へ西へ向かって走り続けた。


途中、車窓から見える川辺では子供たちが真っ裸で川遊びを楽しむ光景が見られた。以前訪れたことのある町に休憩で立ち寄った時には、まるで何事もないかのように前と変わらぬ人々の姿があった。黒海沿岸沿いの町バトゥミにいたっては、ビーチは大勢の海水浴客で賑わっていた。北へ70キロ程の場所にある黒海沿岸の港湾都市ポティがロシア軍の進攻を受けたというニュースが流れたのはつい前日のことだったが、まったくその影響を感じさせない光景が目の前に広がっていた。これが同じグルジアだとはにわかには信じ難かった。


さらに午後5時過ぎ、無事にグルジアを出国してトルコへ入国を果たすと、もうそこはまったくの別世界だった。


やはり異様な状況下にいたからだろうか。トルコという国が眩しいくらいに明るく輝いて見える。人々の笑顔といい、陽気さといい、すべてが段違いにあか抜けている。そのギャップは前回グルジアからトルコへ抜けた時と比べても大違いだった。でもそのことは僕にどことなく違和感を抱かせる。


トルコ入国後2、3日の間、食事のために訪れた数軒のロカンタのテレビは、どれも北京オリンピックにチャンネルを合わせていた。自分から調べでもしない限り、グルジア情勢に関する情報は入ってこないといってよかった。グルジア紛争のことで頭がいっぱいだったこの数日間から、急に北京オリンピックに頭を切り替えるには無理がありすぎる。それに僕がグルジアを脱出したからといって紛争が終わりを告げたわけでもなく、それは未だ続いているのだ。


グルジア紛争 火の手があがる村


「1つの世界、1つの夢」


陳腐なその言葉が妙に滑稽に響く。


世界は1つなんかじゃない。


同じ空の下にありながら、これからも世界は1つになることなんてない。

そんなこと、ずっと前からわかっていたことだけど。


グルジアを抜けてきた今、願いとは裏腹に、僕は殊更そう思う。


だけど・・・・・・なのか。
だから・・・・・・なのか。


その先の言葉を僕は見つけられずにいる。


言葉にならないその先を埋める言葉の所在を、僕は自分の旅そのものの中に見い出せるだろうか。


トルコに入ってからの数日間、ずっとそんなことについて考えていた。 


グルジア紛争 ゴリ周辺の光景

★グルジア紛争③ ~葛藤~

グルジアでの毎日の朝食

いつもと変わらない目覚めだった。

宿のすぐ近くにある野菜市場へ向かう人、買い物を済ませて帰る人。通りを行き交う人々の声がいつもと同じように聞こえてくる。僕は頭の後ろで両腕を組みながら、その心地よい程度のざわめきを耳にしながら、しばらくの間ベッドの上でぼんやりとしていた。


「何も変わってないね」


「そうですね」


宿に泊まっている他の2人の話し声がすぐそばで聞こえた。


緊急の避難車がアルメニアに向けてトビリシの街を出発してから一夜が明けた。あれからロシア軍が夜のうちにトビリシの街を包囲した様子はない。かといってロシア軍とグルジア軍の武力衝突が終わりを告げたわけでもない。実際の状況は刻一刻と変化しているのだろうが、少なくとも僕らを取り巻くこの一帯の状況についていえば、確かに何も変わっていない。


朝8時。


僕らがそれぞれグルジア出国に向けて動き出そうとしていたところへ、電話が鳴った。


大使館からだった。


本日12日、外務省から正式に「退避勧告」が出ました。それに伴い、これからアゼルバイジャン行きの車を出すので乗車の上、すみやかにグルジアから退去してください、というような内容だった。


今さら退避勧告が出るそのタイミングといい、アゼルバイジャン行きの車が出ることになった経緯といい、どことなく歯痒い気持ちになりながら僕は話を聞いていた。いつその車は迎えにくるのかと1人が訊ねると、午後もしくは夕方になるかもしれないとの返事だった。


僕は腕組みしながら思わず唸ってしまった。


あれほど一刻を争っていた昨夜と比べてどこか悠長に聞こえるのは気のせいだろうか。それに夕方出発してアゼルバイジャンに行くくらいなら、もし僕が午前中のトルコ行きのバスに乗れば、場合によっては夕方には国境まで辿りつけてしまう。


昨夜もそうだったが、よけいな迷惑をかけないために素直に大使館の指示に従うべきだ、と思う自分がいる一方で、どうしてもそれに納得のいかない自分がいる。


ぎりぎりまで迷ったあげく、僕はやはり自己責任にて行動しようと決めた。僕はトルコを目指す。アゼルバイジャンには行かない。この日、実際にトルコ行きのバスが運行しているのを再確認した時点で、僕の決心は揺ぎないものになった。


大使館とのやりとりを残った旅行者2人に半ば任せるような形で、午前11時、僕は自転車と荷物をバスに全部積み込み、トルコを目指して出発した。


グルジア トビリシ ナリカラ城塞跡