手のひらの中のアジア -4ページ目

★グルジア紛争② ~錯綜~

グルジア トビリシの街

情報は錯綜していた。


「ロシア軍がトビリシから約60キロ地点にある都市ゴリに進軍し、銃撃戦の結果、制圧」、「ゴリとトビリシを結ぶ幹線道路付近でロシア軍とグルジア軍が交戦、道路は封鎖されている」、「黒海沿岸沿いの町ポティやアブハジア難民が多く住むズグディディなども含め、グルジアの領土のほとんどはロシア軍によって占拠されている」、「ロシアはグルジア全土を征服する気だ」、いや「ゴリに部隊はいない」、「トビリシ進軍の計画は過去も現在もない」、「グルジア政府はパニックに陥っている」


いったいどの情報が真実で、あるいはどの範囲までが正しく、現状をより正確に伝えているのか。情報戦争の渦中にあって、もはやテレビやインターネット上のニュースだけで状況を判断するのは困難だった。


11日、アゼルバイジャンの首都バクーにある日本大使館(グルジアも管轄している)から宿へ電話がかかってきた。事態の発生した8日以降、大使館からはたびたび宿へ電話があり、その都度現在の日本人旅行者の状況と安否の確認が行なわれていた。この時点で宿に残っていたのは僕も含めて3人、うち1人がその電話をとった。


ロシア軍が首都トビリシに進攻しているとの情報を受けて僕らに退避を要請する旨の連絡、これからアルメニア行きの車を用意して向かわせるのでいつでも出発できる準備をしておいてください、とのことだった。


奇妙だな・・・・・・と僕は思った。


なぜならそれほど危険と言われる状況にもかかわらず、運転を見合わせていたはずのトルコ行きのバス会社が同じ11日、このタイミングで運行を再開していたからだ。アゼルバイジャンやアルメニア行きのマルシュルートカ(乗り合いバン)やタクシーはこれまで戦場となっている地域からは遠ざかるルートをとるため、運行にさほど支障はない。しかしトルコ行きの大型バスはというと、トビリシの東西を結ぶ主要幹線道路を走るため、今回の事態の影響をもろに受けることになる。「死への直行バス」や「戦争観戦ツアー」じゃあるまいし、まさかロシア軍がグルジア各地に進攻し始めたのを受けてあえて運行を再開するなんて馬鹿な話があるだろうか。バスが運行を再開したということは、ルート上におけるそれなりの安全状況が確認できたからではないのだろうか。


やはり情報は錯綜している。


それにしても、アルメニア行きの車と聞いて僕らは困惑した。僕らは3人ともアルメニアからグルジアへとやってきた。その後、僕はトルコを目指し、他の2人はアゼルバイジャンを目指していた。


アルメニアへ戻るような形で避難したとしても、現実的な話、途方に暮れてしまうのは目に見えている。わざわざ再び高いビザ代を支払って入国してもその先、アルメニアからはトルコ、アゼルバイジャンともに国境は通じていない。コーカサス事情は非常に複雑だ。新たなビザを取得してイランへ抜けるか、または飛行機を利用してどこかへ飛ぶという手はあるけれど、何より着の身着のまま脱出してきた状態では何もしようがない。


3人のうち1人は、アゼルバイジャンから帰るエアチケットを持っている。それが急遽アルメニアからの帰国に変更せざるを得ないとなれば、片道分のチケット破棄と新たに購入するチケット、その他諸費用を考えても軽く1,000ドル以上の損失になるだろう。少し前まで同じ宿に泊まっていたポーランド人旅行者2名の場合、大使館側が用意した車でアルメニアへ避難するという点では同じだが、その際、本来必要なビザ代は特別措置により無料、さらにアルメニア入国後、帰路便の確保までを大使館側が請け負ってくれるのだという話を聞いた。日本大使館の場合、そうはいかない。避難後、大使館に何かしら相談したいと思っても、アルメニアという時点ですでに管轄外、さらにややこしいことにアルメニアを管轄しているのは今度はモスクワの日本大使館になる。幸い、今回アゼルバイジャンを目指している2人は僕なんかよりずっと旅のベテランで、失礼ながら放っておいても心配いらないといえばいらないような人たちだったからいいけれど、これが初めての海外旅行者だったり旅慣れない旅行者だった場合を考えると、もっと面倒なことになっていたかもしれない。


グルジア トビリシの旧市街


そんなことをあれこれ考えているうちに、夜11時過ぎ、迎えの車がやってきた。


運転手として派遣された大柄なグルジア人の男が息急き切って部屋に入ってきて、すぐに車に乗り込むようにと促す。


「ここは危険だ。ロシア軍がトビリシに向かっている。車はもう外に用意してある。あとは、あんたたち次第だ」


乗るのか乗らないのか。今すぐに決断しなければならない。


再び受け取った大使館からの電話で、僕らは最終的な返事をする。しかし、アゼルバイジャン行きを望んで以前からその旨を伝えていた2人と、それはできないと言ってアルメニアへの避難を促す大使館との間には次第に険悪なムードが漂い始めていた。僕が持ち出した現地交通機関の情報と大使館に入っている情報との差異が話をややこしくさせ、会話にさらなる亀裂を生む。


とはいえ話を聞いていると、たくさんの疑問符が頭の中に点灯する。


大使館側は避難車をアゼルバイジャンへ向かわせることができない理由を述べるのだが、「アルメニアより遠いから」(いや、むしろ近いのでは?)、「(事前取得していない僕のような旅行者がいた場合)ビザを国境で取れるかわからないから」(わからない・・・?)、といったどこかあいまいなものばかり。そうなると、こちらが疑念を抱くのも無理はない。


そもそもグルジアを管轄している大使館はアゼルバイジャンにある。アゼルバイジャンにある大使館なのだから当然アゼルバイジャンについても精通している。これまで何度も電話でやりとりをして話が通じている利点もある。そう考えると管轄外のアルメニアへ避難させるよりアゼルバイジャンへ連れてくるような形をとる方が合理的だし、もし旅慣れない旅行者の場合を想定すれば、配慮という点でもベターじゃないだろうか。それでもあえてアルメニアへ避難してもらわなければならない理由があるならば、他国の大使館がそうであったように、その後のフォローについてももう少し考えた方がいいのでは、と思ってしまう。


まず安全な場所に避難させることが最優先というのはわかるけれど、避難後、あとは各自で何とかしてください、もし何か相談がある場合にはアルメニアを管轄するモスクワの日本大使館の方へお願いします、というのでは当事者は困り果ててしまう。こうなると現時点での大使館側の言い分は、危険だし何かあった場合に責任を問われるのは我々なので一刻も早く管轄外へ出ていってください、という本心が見え隠れしているように受け取れなくもない。その気持ちもわからなくはないけれど。


結局、話は平行線を辿るばかりだった。


現場と大使館との間には縮めようのない距離、明らかな温度差が存在していた。そもそも管轄する大使館が別の国にある時点でそれは仕方がないのかもしれない。


―事件はアゼルバイジャンで起きてるんじゃない・・・・・・グルジアで起きてるんだ!!


受話器越しにそう叫んでみたくもなったけれど、そんな場合ではなかった。


乗るのか乗らないのか。決断の時は迫っている。強制ではない。ただし断れば、それ以降は自己責任での行動になるということだ。


「いいんですね?あとは自己責任ということになりますが」


大使館側から強い口調で念が押される。


受話器は3人に順に回され、各自どうするのかを大使館側に伝える。これ以上あれこれとあげつらっても仕方がない。


僕らは差し伸べられた救いの手をはねのけて、それぞれ自己責任において行動することに決めた。


結論だけを言えば、だいたいそういうことになる。


グルジア トビリシの街

電話が切れ、宿の下に待機していた車が深夜のアルメニア国境越えを目指して出発してしまうと、部屋の中は妙にしんとした静けさに包まれた。


少し置き去りにされたような気分にもなったけれど、自己責任のもとに自分で決断したこと、もはや誰に頼ることもできない。


気を取り直し、僕らは最後の夜をグルジアワインと少量のコニャックで乾杯した。


1人が杯を掲げ、僕ともう1人もそれに合わせて杯を重ねる。


「生きるために」


そんな言葉で音頭を取ることは、もうこの先2度とないんじゃないだろうか。


静かな夜だった。


仮に僕らが本当に危険な状況下に置かれているとするならば、それはトビリシの街に住む人々にとっても同じく危険であるはずだ。泊まっている宿(通称ネリ・ダリの家)の主、ネリばあさんとヴァシャおじさんだって同じこと(ダリと息子たちはこの時留守だった)。僕はこの家にももうだいぶお世話になっている。


旅行者にはいくらでも逃げ道がある。アゼルバイジャンだろうとアルメニアだろうとどこにでも行けばいい。でもグルジア人のこの人たちは違う。この人たちの居場所はここしかない。グルジアしかない。他に逃げる場所なんてないのだ。お世話になった人たちを見捨てるように自分だけさっさと車に乗って避難する。そんなこと、あのタイミングで僕にできただろうか。


乗るのか乗らないのか決断を求められていたあの時、大使館の要請を断ろうとしている自分にどこか引け目を感じる部分もあったけれど、やはりあの場だけは乗車を拒否してよかった、と今あらためて僕は思う。ここに残ったからといって何かの役に立つわけでもないけれど。まぁ、もしトビリシの街の人々が一斉に避難するようなことにでもなったら、僕はネリとダリを自転車の荷台にでも乗せて全速力で国境まで走るくらいの覚悟はあるよ。ちょっとほろ酔い気分になった頭で、ぼんやりとそんなことを考えていた。


幸い、今のところ政府からは正式に避難命令がくだった話も聞いていないし、少なくともこの周辺の人々の様子に今も大きな変化は見られない。


ベランダの下の方から聞こえてくる近所のおばさんたちの立ち話の声が、僕の気持ちを和らげ、落ち着かせてくれる。


大丈夫、明日きっと僕は問題なくグルジアを出発できる。


そう信じながら、赤ワインのほのかに甘い香りに包まれて、やがて僕は眠りにつく。


グルジア トビリシ ネリ・ダリの家にて

★グルジア紛争①~勃発~

グルジア トビリシの街

体の芯にまでズドンと震動が伝わるほどの大きな爆発音が、グルジアの首都トビリシの街に響き渡った。


新市街の外れを歩いていた僕は一瞬びくリとして立ち止まったが、その時にはそれが何なのか確かなことはわからなかった。


トビリシ市街を見渡すのに絶好の場所であるナリカラ城塞跡を訪れていた日本人旅行者の男性が、同じ時間帯、爆発音とほぼ同時に少し遠くで噴煙が上がるのを目撃したと言った。後にテレビで、10日、ロシア軍によってグルジアの首都トビリシの空軍施設及び国際空港近郊が爆撃されたとのニュースが報じられた。


僕が聞いた音、彼が目撃した噴煙など、日時、場所ともにだいたい合致する。


「我々はロシアと戦争をしている」


グルジアのサーカシビリ大統領が少し前のテレビ演説でそう述べた。


―戦争・・・・・・。


戦後30年以上が経って生まれ、その後の30年弱、これまでの人生のほぼすべてをそれこそ平和といっていい日本で過ごしてきた僕は、戦争を知らない。世界各地で今も絶え間なく続く紛争・テロの類も、いつだって画面の向こうのどこか遠い国の出来事でしかなかった。


しかし、2008年8月8日、北京オリンピック開催と同時に勃発した南オセチアをめぐるグルジアとロシアの武力衝突は、僕にとってもはやどこか遠い国の出来事などではなかった。遠い国どころか、それは今まさに自分が滞在している国で起きた出来事だったのだから。


新たな「世界の火薬庫」とまで呼ばれるコーカサス地方。南オセチアをめぐるロシアとグルジアのここ最近の緊迫した情勢についてある程度は情報が入っていたけれど、このタイミングでこれほど大規模な武力衝突が勃発するとは予想だにしていなかった。


「グルジアのサーカシビリ大統領は、北京オリンピック開会式当日なら南オセチアに軍事進攻してもさほど大事には至らないだろうと判断したのではないか」


そんな専門家の推論さえなされる中、仮に大統領の判断が事実そうだったとして、ならばなおさら北京オリンピック開催と同時にこんな事態に巻き込まれることを僕などが予測できるはずもない。ましてや「オリンピック停戦」と呼ばれる暗黙の了解とやらを完全に無視した前代未聞の出来事だというのだから。


ほとんどのグルジア国民がおそらくそうであったように、僕もまた否応無くその国家間の争いの渦へと巻き込まれていった。


グルジア トビリシの旧市街

恐怖や焦りといったものはなかった。あくまで冷静だった、と思う。

いわゆる平和ボケした日本人的感受性の鈍さによる部分もあったかもしれないけれど。


大々的にニュースが報道された後も、トビリシの街に住む人々は普段とさして変わらないように見えた。8日以降も毎日、トビリシ駅前の野菜市場は早朝から元気な掛け声が飛び交い賑わいを見せていたし、「マツォニ~、マツォニ~」と叫ぶヨーグルト売りのおばさんの鼻にかかった甲高い声はいつもと同じように部屋の窓の外から僕の耳に飛びこんできた。家の前の道端に座り込んでアイスクリームに夢中の少年少女。テレビチャンネルを北京オリンピックに合わせ、のほほんと店番をしているマガズィン(商店)の旦那。市の中心部で開かれる数万人単位の集会、反戦を訴え平和を願いそこに集う多くの人々がいる一方で、これまでの日常となんら変わらない人々の光景が目の前にある。


話をする人の中には、ロシアを悪く言う人もいれば、そもそも大統領(サーカシビリ)が駄目なのだと言う人もいる。とにかくアメリカが何とかしてくれると思っている人もいれば、武力衝突を嘆きながらもこの事態にさほど関心がない人さえもいる。人それぞれとはいえ、どことなくグルジアの一体感の無さを感じてしまうのもまた事実だった。


テレビでは相変わらずロシアの非道ぶりが強調され、爆撃を受けたグルジア側の町や人々の凄惨な光景が多く映し出されていた。グルジア軍が攻撃した南オセチア側の町や大量の死者についてなど、このような状況下で自国が不利になるような情報は国民に向けて流せないのかもしれないが、明らかに自分たちの都合の悪い部分を伏せた報道は、客観的に事態を把握したい僕のような第3者にとってはいささか偏りすぎに受け取れる。


仮にロシアの非道ぶりは非難されて然るべきだとして、グルジアのサーカシビリ大統領が見せる強気な言動もまた、背後に欧米の協力があるとはいえ、それをちょっと過信しすぎのように感じる。実際に見てなんとなく感じてしまう人々の一体感の無さと、国内的にも求心力を回復させたいサーカシビリ大統領の強気な言動というのは、まったく無関係ではない気がする。


NATO加盟と領土の統一回復を目指す親欧米のグルジアと、それを阻止し勢力圏の再拡張を目論むロシア。本音と建前の見え隠れする双方の駆け引き。原油利権をめぐる欧米とロシアの争い。グルジアからの分離(北オセチア(ロシア)との統合)を望む南オセチア、同様に独立承認を求めるアブハジア。そして巻き込まれる多くの罪無き人々。


それぞれの思いが交錯する中、ロシア軍とグルジア軍の戦闘は激化の一途を辿っていった。


グルジア トビリシの街

★旅の断片 インド ~ダラムシャーラー近郊の村の子供たち~

インド ダラムシャーラー近郊の村に住む少女

インド ダラムシャーラー近郊の村に住む少女 インド ダラムシャーラー近郊の村に住む子供たち インド ダラムシャーラー近郊の村に住む少女

★旅の断片 インド ~ダラムシャーラー近郊 山村の小学校で~


インド ダラムシャーラー近郊の山村の小学校に通う子供たち

谷へと下りていく道、ちょうど山の中腹あたりにある小学校。


お世話になっていた家の子供たちのうち、何人かの姿もここに。


訪れたとき、ちょうど授業の合間の休み時間だったようで、子供たちはだだっ広い校庭で仲睦まじく遊んでいた。


新鮮な空気は何度も深呼吸したくなるほど気持ちよい。 谷底に流れる川の姿は美しく、水も透き通るほどきれいだ。


雪を被った雄大な山々を背景に自然の中でのびのびと遊び学ぶ子供たちは、埃と喧騒に満ちた都会の学校に通う子供たちとはやはり違って見える。それは、子供たちのお母さんやお父さんと接していても感じること。


住んでいる環境はやっぱり人柄にも影響する。


日本には、こうした光景がいったいいくつ残っているんだろう。


自分に子供ができたとしたら、こんな自然の広がる場所で育てたい、なんてことをちょっと想像してみたりした。


インド ダラムシャーラー近郊の山村の小学校に通う子供たち インド ダラムシャーラー近郊の山村 インド ダラムシャーラー近郊の山村

★旅の断片 インド ~ダラムシャーラー近郊の山村で~


インド ダラムシャーラー近郊の村

インド ダラムシャーラー近郊の村 インド ダラムシャーラー近郊の山々 インド ダラムシャーラー近郊に沈む夕陽